「スピリチュアルにハマった友人」に悩む、すべての人に言いたいこと
躁と鬱をくりかえす友人
数年前、友人のAちゃんがある心理カウンセラーにハマった。
カウンセラーと言っても臨床の現場にいる人ではなく、テレビ出演やブログ・書籍での情報発信、セミナーなどを生業としているらしい。全国に彼の「認定」を受けた弟子のような人たちがいて、その弟子がまた、それぞれにセミナーを開いている。
私はそれらのことを、AちゃんのSNS投稿で知った。その人はカリスマ的な人気があり、まるで教祖のように扱われていた。
Aちゃんも、弟子のひとりのセミナーに通っているようだった。どうやら自己啓発セミナーのようなものらしい。
本来カウンセリングと自己啓発は別のものだが、カリスマ的人気のカウンセラーもその弟子たちも、発信している内容は心理学というより自己啓発だった。
複雑な家庭に育ったAちゃんは、大学生のときから双極性障害を患っていた。躁状態のときと鬱状態のときがあり、体調のせいで休職や転職を繰り返してしまう。真面目で努力家なのに就労が困難な彼女は、よく「生きづらい」と言っていた。
しかし、セミナーに通いはじめてからの彼女は、明るく積極的になった。活動を通じ、仲間もたくさんできたようだ。SNSでその様子を見た私は単純に、「Aちゃん、元気になって良かったなぁ」と思っていた。
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Aちゃんが教祖的なカウンセラーやその弟子たち、信奉者たちのブログをたびたびシェアするので、私も読んでみた。
<頑張らなくても、あなたは存在するだけで価値がある。嫌なことをやめて、やりたいことだけをやっても大丈夫。頑張らないことへの罪悪感や、頑張らなきゃ恐ろしいことになるという思い込みは手放そう>
といった内容が、わかりやすくキャッチーな言葉で書かれている。
たとえば、「存在給」という言葉。「社会や人の役に立っていなくても、お金を稼いでいなくても、人は存在するだけで価値がある」という考え方だ。
カリスマ講師によれば、「頑張らなければ幸福(お金や他者からの愛情)を享受できない」という思い込みを手放し、「頑張らなくても幸福を享受していい」を前提とすることで、生きるのが楽になるという。
「頑張っていない自分に価値はない」という思いから、つい限界まで無理をしてしまう人は多い。周りに合わせて過剰適応する人や、生産的な活動をできていない罪悪感に苦しむ人にとっては、救いとなる言葉だろう。
また、さびれた神社のお賽銭箱に1万円を入れて特に願をかけずに立ち去る「神社ミッション」。欲しいものを得る対価として払うのではなく、あえて大金を無為に使う。
「1万円を無為に使っても怖いことは起こらなかった」という体験を得ることによって、お金への執着から解放される……ということらしい。
お金を使うことへの罪悪感や、お金が減ることへの恐怖心に苛まれている人にとっては、それを克服する手立てになるのだろう。
どちらの考え方も「なるほどな」と思うし、読み物としては面白い。けれども私はそこまでハマれなかった。
講談社 ライター 吉玉サキ より転載