「スピリチュアルにハマった友人」に悩む、すべての人に言いたいこと 4
しかし、それらの行動がことごとく裏目に出る。「直感に従って行動しよう」という発信を読んだときに、ネット有名人が会える人を募集していたので、ピンときて会いに行ったら不機嫌な対応をされて落ち込む……なんてこともあった。もしかしたらその人は、「この人に会えば何かが変わるはず」という私の期待を感じ取り、疎ましく思ったのかもしれない。
そのうちにだんだん、日常の中のちょっとしたことすら決めるのが怖くなった。たとえば友達から遊びに誘われても、行くか断るかでものすごく悩んでしまう。
シュミレーションゲームの“分岐”みたいに、行くか断わるかで未来が大きく変わってしまう気がするのだ。自分の選択が正しいのかわからなくて怖いから、誰かに決めてほしい。
そんな状態になってはじめて、“教祖”に選択を委ねたくなる気持ちが理解できた。それまでも何度か鬱状態を経験していたが、そのときは自己啓発やスピリチュアルの存在を知らなかった。弱っているときにすがれるものが近くにあれば、ハマってしまうのもわかる。
けれど私は、ハマる直前で自己啓発系やスピ系の情報から離れた。単純に、そういった情報を摂取することに疲れたのだ。そして、治療を継続しながら健康的な生活を心がけているうちに少しずつ、皮膚も心も回復していった。
今思えば、あのときの私はガソリンが尽きかけていた。残り少ないガソリンを自己啓発やスピに使ったため、エンプティになってしまったのだ。答えを外に求めようとせず、もがかず足掻かず、コツコツと日常を重ねる。私にとってはそれが回復への最短ルートだったのだろう。
しかし、この体験を「自己啓発やスピリチュアルは悪」という結論に落とし込むのは極端だ。私は、「向き不向きがあり、あのときの私には向いていなかったのだ」と考えている。
Aちゃんがハマったカウンセラーの教えも、正常な判断力を持った状態で適度に摂取すれば、生きやすさを連れてきてくれるものだと思う。しかし、自分を見失った状態ですがりつくと、ますます自分を見失ってしまう。薬にも毒にもなり得るものだと、このとき身をもって知った。
講談社 ライター 吉玉サキ より転載