「スピリチュアルにハマった友人」に悩む、すべての人に言いたいこと 6
焦点を当てるべきところは?
この原稿を書くにあたり、久しぶりにAちゃんと連絡を取った。本人の口からはっきりと「今は幸せだよ」という言葉を聞き、嬉しくなる。彼女はもう、かつてのような熱心さでカウンセラー界隈にのめり込んでいるわけではなく、教祖的なカウンセラーの発信もたまに読む程度らしい。
彼女は言う。
「今でも、あの界隈の『こうあるべき』に捉われない考え方は好きだよ。頑張らなくても、ありのままの自分に価値があると思えるようになったし。肩の力が抜けて生きるのが楽になったのは、あの界隈の考え方に出会ったおかげだと思う」
私は、「自己啓発やスピリチュアルに対して、肯定派にも否定派にもなれない。周りにハマっている人がいるとき、忠告すべきか否かもわからない」ということを伝えた。自分からAちゃんにその話題を振るのははじめてで、勇気の要ることだった。
「サキちゃんみたいに一歩引いた目線で見てくれるのは嬉しいよ。渦中にいると客観視できないし、でも頭ごなしに全否定されるのも嫌だし」
その言葉を聞き、私の接し方が間違いではなかったことに安堵した。少なくとも、私とAちゃんにおいては。
これはあくまで私とAちゃんの場合で、すべての人たちに当てはまるとは思わない。ただただ、ひとつの個人的な体験として書いた。
彼女の「一歩引いて客観的に見ていてほしい。でも頭ごなしに全否定されたくない」という思いは、私の「肯定か否定か、忠告すべきか否かわからない」という思い同様に、どっちつかずで中途半端なものだ。
感覚的な言い方になるが、私はこの中途半端さを大切にしたい。
自己啓発もスピリチュアルも、信者とアンチに二極化しがちだ。けれど、肯定か否定か、どちらかのスタンスを選ばなければいけないという決まりはない。人の思考は多くの場合、白か黒かの極端なものではなく、グレーゾーンで揺らぐものではないだろうか。
自分が否定派か肯定派かを決める前に、まずは目の前の相手と対話をしたい。ハマっている人に対して、「目を覚ましなよ!」と注意喚起の否定をするのではなく、かと言って「あなたにそれが必要ならそれでいいんじゃない」と突き放した肯定をするのでもなく。
その人を自己啓発やスピリチュアルに向かわせる原因は何か、他のものではその代替にならないのか、それを知りたい。白黒つけず、自分の意見を押し付けず、まずは耳を傾けたい。
すべての人の声に耳を傾けることはできないけれど、少なくとも周りの大切な人の声は、遮らずに最後まで聞きたい。
友人には幸せでいてほしいし、可能な限りずっと友人でいたい。
結局のところ、望むものはそれだけなのだ。
講談社 ライター 吉玉サキ より転載